今日の一枚 part

My style,My life 〜心に響く写真を、心に残る何かを。

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少女七竈と七人の可愛そうな大人 -桜庭一樹

nanakamado




不思議だ。

最初の1頁目までは抵抗感がある、古めかしく改まった文体なのに、
読み進めていくうちにそれが癖になっている。
物語の主人公である少女七竈のキャラクターがその古風な言葉尻からよく表現されている気がして、その世間ずれしていない素朴さに彼女への好感を持ってしまっていた。
美しい容姿を持ちながらもそれを持て余している七竈と、その幼馴染である雪風。
目立たぬように、欲を持たずささやかに暮らしていた2人を、周りの大人たちが、そして運命が放っておかない。美しく切ない物語だ。


人より優れたものを持っていながらも、それを誇らない謙虚な姿に人は好感を抱く。
逆にそれを誇示した時点で、途端に羨望はそれと間逆なものに姿を変える。

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重力ピエロ -伊坂幸太郎

piero


不安定なものはある。
いつだって、いくつだって。

例えば大好きな彼の気持ちが本物なの?とか、
目指すべきものが見えないまったりとした毎日、だとか、
更年期障害を迎えた母の機嫌だとか。。。
大小の差や質の違いこそあれ、何かに不安定さを感じることはあるだろう。

それがもしも、自分の出生に纏わることであったら?
生まれてきた所以に確信めいたものを感じられなかったら?

そんなこと、考えてみた事もなかった。
だって私には父と母がいて、2人が結婚して、そして次女として普通に生まれてきたのだから。
それが「普通である」ということさえ意識しないほど当たり前のようにその事実を受け容れていたわけだ。
つまり、私が生まれてきた経緯には、何の疑問を挟む余地もなかった。

それがもしも、母親がレイプされた結果として自分が生まれてきたのだとしたら?
だとしたら、自分という存在を根底から否定された気分になるのかもしれない。

自分はどうして生まれてきたの?
私は何のために生きるの?

そんな疑問はきっと誰だって一度は持つだろう。
けれどその疑問に伴う深刻さが、切実さが、きっとまったく違うのだ。

果たして自分は望まれて生まれてきたのだろうか?
いや、その経緯を知るからには、きっとそうでない可能性のほうが明らかに高いと誰でもわかるだろう。
そして、そんな犯罪者の血が自分の中にも流れているという事実。
生まれもって、自分が汚れた人間に感じるのではないだろうか。

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わたしのなかのあなた 〜My sister,s keeper

 mysisterskeeper


「わたしのなかのあなた」

この邦題を見たときに、最初はよくある恋愛物語かと思った。
けれどあらすじを読んで、なるほど、もっと物理的な意味なのかと理解した。

とはいえ結局どちらの意味においても、
それは男女の恋愛ではないとして、愛というものがあるのは間違いないんだろう。

自分の中に誰か別の人の存在を感じる。
それはとても心温かい気持ちになるものだし、そして心強く思えるはずだ。
けれどそれは状況変われば途端に苦しみにとって変わる。

つまり誰かを自分の中に受け容れるということは、
どんなカタチにせよハイリスクハイリターンなのだ。


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未来を写した子どもたち

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入ろうとした喫茶店が満席だった流れで、偶然に立ち寄ってみることになった映画館。
そこでちょうど1分後に本編が始まるということで見た映画がそれだった。

この映画のキーワードをあげると、
写真、インド、売春宿で生活する子供たち。

いずれも今の私にすごく響くもので、
なんだか予定していなかったこの映画との出会いに、不思議な縁を感じる。

どうしてそれが今の私に響くようになったかというと
「闇の子供たち」という小説をつい先日読み終わったからだ。
言わずもがな、売春をさせられる子供たちの話で、
それは東南アジアを一人旅してきた私にとって、
思い当たるところがある内容であり、それ以上に衝撃的だった。

2年ほど前に、東南アジアを旅していて思った。
私は女だから、実際に売春宿へ行く事はないけれど、
旅先で出会った人たちの話や、町で見かける女性たちの姿から、
おぼろげながらに売春をせざるを得ない子供たちの存在を知るようになった。

カンボジアで、とても可愛らしい少女が物乞いをしていた。
年の頃は10歳くらいだろうか、外人の好みはわからないけれど、
日本人であれば誰でも好む顔だと断言できるほどの美少女だった。

彼女は、大勢の兄弟と一緒に物乞いをしていた。
スコールにさらされながらも必死な姿は、それだけで胸を打つものがあった。

このまま生活が貧しいのでは、いずれ彼女は売られてしまうのだろうか?
もし親に今その気がなくても、いつか買春目当てで来ている男性の目にとまれば、
直接親に交渉してくるかもしれない。そうしたら。。。。

そんな風に一人勝手に想像をめぐらせては、胸を痛めていた。
けれども、「いや待て。それは悪く想像しすぎでは?もし仮にそうだとしたら、
もっと幼い頃にとっくにそうなっていただろうし。」
なんてことをまた一人で考え直しては、勝手に自分の中で完結させていた。

けれどもその小説には、私の想像なんかはるかに上回る内容が書かれていて、
著者が取材に基づいた事実を物語にしているというのだから驚いた。

生まれながらに売春をへと続く人生のレールを歩む事から逃れられない少女たち。
「未来を写した子供たち」の映画に出てくる少女たちは、
それを大人びた目線で客観視しながらも、
ある者は人生を受け入れ、ある者は希望を捨てずに抗って生きている。

その希望の光を与えたのが、
このドキュメンタリーの主人公でもある一人のイギリス人女性だ。

彼女は売春街に自らも住み、そこで売春宿の子供たちを相手とした写真のワークショップを開催している。
子供たちにひとり一台のカメラをわたし、自由に写真を撮らせ、時には撮影旅行まで連れ出している。

写真を通して外の世界を知る子、誰にも気づかれなかった才能を開花させる子、
将来への夢と希望を抱く子、、、と、写真をトリガーにこんな風に子供たちを救えるのかと、
意表をつかれたような気持ちで見ていた。

小説と違ってこの映画がよかった点は、最後に救いがあったことだ。

全部が全部成功するなんてことは、現実である限り難しいだろう。
けれどもひとりでもいいから、今いるところから抜け出させる手助けができたのなら、
私にとってそれは救いがあったのだといえる。


これを見て、私には、何ができるのだろう?と思う。
小説を読み終えた後も、そして実際にカンボジアの少女に会ったときもいつも考える。
募金?ボランティア?実際にイギリス人女性のように現地で子供たちを助ける?

けれどそれではたった一人の子供、いやそれならまだいい方で、
たった一人の僅かな時間を救う事はできるかもしれないけれど、
それでは抜本的な問題は解決されていないわけで、そもそもの
幼児売春がおこってしまう社会的な構造をどうにかしなくてはならない。

アフリカのダイヤモンドを巡る闘争もそうだが、
需要がなければ供給も発生しない。

どうか、幼い子供を買う大人が、この世からいなくなってほしいと思う。
この現実を知って、どうか、もうそういうことはやめてほしいと、そう思う。


とはいえ今の私は非力なのだから、このイギリス人女性の作ったNPO
キッズウィズカメラに募金するところから始めようかな。
http://www.mirai-kodomo.net/kwc.html


ひとりでも、多くの子供たちが救われますように。

  
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アムステルダム・ランチボックス

amus


私は人から薦められた本や、ひょんなきっかけで知った本には縁を感じて、
必ず読むことにしている。全ては必然であり、偶然ではないのだ〜。

「アムステルダム・ランチボックス」という本は、
最初に志羽竜一という作家を知り、そしてその足で書店へ行った先で見つけたものだった。

写真関連の本が多いので良く行っていたその書店は、小狭しいワンフロアしかなく小説が少ないことは知っていたので、「もしかしたらないかな。」と半信半疑で店員さんに聞いて案内された棚に並んでいたその本は、彼の最新作だった。

できれば一人の作家の作品を読む際には、処女作から順に見ていきたい。
けれど書店で手にしてしまったそれを再び棚に戻すのは惜しいような気がして、
「とにかく早く彼の作品を読んでみたい」という一心でレジへ向かっていた。

そして、仕事やプライベートの予定がぎっしり詰まっていた2日間のはずだったのに、
我ながらどこをどうやって空き時間をつくったのか、あっという間に読み終えてしまった。


感想は、面白い。


私はこういうときに、自分の語彙力のなさを実感して悲しくなる。
面白いなんて言葉は、私が感じたことの1%だって表せていない。
この小説の深さや意味を1%だって表せていない。

いや、むしろ感じたことの全てを総括して表してはいるのだけれど、
ただ単に、それ以上に伝えたいものがこの小説には詰まっているのだ、
ということかもしれない。

私は読みながら、常温で半分空気のようなサラサラとした水を飲むみたいに
心に溶け込んでくる文章に出会うと、言葉、文字というものの偉大さ、奥深さを思わされる。

同じ日本語を使っていて、それもたったの50個という限られた文字の組み合せなのに、
どうしてこんなにも印象が違うものが作れるのだろうかと思う。

文字と文字が連なった文章というものは、本当に不思議だ。
そして魅力的だ、と思う。それを操れる人を尊敬する。

攻撃性のある尖った文章もあれば、眠くなる愚鈍な文章もあれば、
この作品のように抵抗なく入り込んでくるのにしっかりとした重みを持ち合わせてる文章もある。

同じ50個のパーツを使って、私はこんな風に人の心に染み入る文章を作ることができるのだろうか。と立ち返ってしまう。

「アムステルダム・ランチボックス」は、眠くなることも攻撃してくることもなく、
テンポ良く物語が進んでいく。無駄がない、と思えた。
その構成も、台詞も、描写も、私はプロじゃないので正確なところはわからないけれど、
なんとなく無駄がないと思ったのだ。

程よく適切で、押し付けがましくない。
けれどサラリとしすぎているわけではなく、しっかりと読み手の心をつかんでいる。
そんなかんじだろうか。

ネタバレしてしまうので内容は控えるけれど、
出てくる登場人物それぞれにきちんとした人生があって、
生き様があって、古傷もあって、強さと弱さのバランスがある。

そのまったく違う生き方をしている人生が、後半にいくにつれて
うまくクロスしていくさまは、ほんとうまいなぁ~と思った。


私はぶっちゃけると、美晴があまり好きではなかった。
現実の世界でいうと、私の嫌いなタイプの人だと思った。
けれど彼女をそうさせた背景を知るにつれ、打算的な女、というイメージから、
不器用すぎるほど一途な女、というイメージに変わった。

とはいえ私はやっぱり近くにいて自分を支えてくれている人を
長期間に渡って裏切り続けていられるという点は、理解できないけれど。
だってそこには、やっぱり寂しさが伴うんじゃないかと思うから。

大事にしてくれる人が悲しむとわかっているということをやり続けるのは、
自分のことしか考えられない人か、でなければ良心の呵責に耐えられなくなると思うんだよね。

近くにいてくれて、自分を大切にしてくれる人は、
やっぱり大事にしてあげたいしまっすぐでいたいし、悲しませたくない。

その点、絢日はいつも真正面から向かいあおうとする姿勢は共感できたし、
ふと相手を疑ってしまっている自分に対する悲しさや悔しさは痛いくらいよくわかった。

そして、どんなにゼロからやり直そう、と思っていても、
過去に起こってしまった出来事は決して消えないという現実も。
それは自分の中のどこかに染み込んでしまっていて、ふとしたタイミングでネガティブな顔を出す。
その染みを消すことは決してできなくて、長い長い時間をかけて上塗りをしていくしかないんだろう。
長い長い、気が遠くなるような時間と努力を重ねて・・・。

かつて、上塗りに成功できなかった私は、読みながらそんな自分の過去を振り返ったりもした。
だからやっぱり、軽い気持ちで相手を傷つけちゃいけないんだ。
そして、自分が傷ついたらキレイに引くことも必要かもしれない。

で、私が一番好きだったのは智也かな。
なんか、芯が強くて大人だよね。

・・・と、ここまで登場人物に感情移入させてしまうあたりが、良い小説だなぁと思いました。
長くなったので今日はここまでにしよう。
本当は本人へ感想を伝えたかったのだけれど、連絡先がわからないのでここに書くことにした。

あぁ、やっぱり処女作が読みたくなってしまった。
受賞作って、どこで読めるんだろう???






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クワイエットルームにようこそ

070824_quietroom

朝、会社へ行く準備をしている間、
私は時計代わりにテレビをつけている。

そこでは色んなゴシップネタやニュースが流れているけれども、
最近は殺人事件がことに多いような気がする。

容疑者、または犯人、というレッテルをひっさげて写るその顔は、
あ〜、本当に悪人そうだなぁ、という印象を与える。
一方で、被害者、というレッテルとともに写るその顔は、
あ〜、いい人そうなのにかわいそうだなぁ、という印象を与える。

けれどその両者を知っている人間がそれを見たらどう思うのだろうか?と思う。
容疑者は「いかにも人を殺しそうな奴でしたよ。」といわれるのだろうか。
被害者は「何の欠点もなく、天使のような子でした。」といわれるのだろうか。

後者はあるかもしれない。
誰から見ても悪人なんて人は社会で共存していく以上そうあまりいないし、
人間は自らが抱え持つ僅かばかりの悪でさえ隠して生きているものだから。

けれどその容疑者は、果たして誰から見ても悪人だったのだろうか。
100人から一斉に石を投げつけられても仕方ないほどの悪人だったのだろうか。
怪我をして死にそうな子猫に追い討ちをかけるよう蹴り上げるほどの悪人なのだろうか。

疑問、葛藤、そういったものは善と悪が内在するから行われるものでもあり、
その容疑者だって人の子である以上、少なからず弱さや善の心は持っているのじゃないだろうか。
(もちろん人間としての機能が偏った凶悪犯もいるだろうけれど。)

そう思うと、ニュースに容疑者として写る全ての人が、
明らかに一般人とは一線を画していた悪人というわけではないのじゃなかろうか。

隣にいるその人だって、職を失い、家族に罵倒され去られ、
信用していた友人には騙され、お金も頼る人さえもいなくなったら、
どんな人になるのだろう。

私がいいたいのは、普通なんて錯覚なんだ、ということ。
どこにもそれらを分かつ一線なんてないし、いつだってそっちの世界にいけてしまうんだ。
誰にだってその可能性はあり、誰にだってふと頭をめぐらせてしまう邪な考えがあることだろう。

だいいち「普通」という言葉の定義は、
とてもあやふやだと思う。

映画「クワイエットルームにようこそ」は、
精神異常者と間違われた主人公明日香(内田有紀)が、閉鎖病棟に入れられ、
精神病患者と生活をともにしなくてはいけなくなる話だ。

「私は異常なんかじゃない。事故だったんです。」
そう訴える明日香だったけれど、担当医と同棲相手の同意がないと退院できない。
しかし肝心の同棲相手は仕事で海外へ行ってしまい、退院の目処は立たず窮地に立たされる。

マトモな自分がいるべきではない世界に閉じ込められ、
マトモじゃない人々と接しなければならない明日香。

けれど物語が後半へ行くにつれ、
明らかになっていく事実。思い出していく記憶。

「私はここにいてしかるべき人間なのか!?」
と、その理由を知るにつれ愕然とする。


「私は精神病ってわけじゃないんだけど、旦那が念のためってことでいるだけ。
だからもう退院するわ。じゃあね。」

そうやってサラリと退院をしていく粟田は、
患者たちからの寄せ書きと連絡先を捨てることを明日香にほのめかす。

「ここから出るってね、そういうことなのよ。」

マトモな世界とマトモじゃない世界。
そこは物理的にもはっきりと遮断されていて、精神的にも遮断しなければならない。
はっきりと絶縁しなければならないのだ。

けれど最後に彼女、粟田はまた戻ってくる。
結局はその境界線は彼女の頭の中にあるだけで、実際には存在しないのだろう。

そして恋人と向き合い、自分の真実と向き合った明日香は、やっと退院を迎えた。
病院を出るときまで持っていた寄せ書きや似顔絵、
そういった隔離病棟の患者たちとつながる全てのものを、
病院の出口で一瞥だけして、明日香は迷いなく捨てる。
そして、ふっと笑う。

その表情には、寂しさでも、軽蔑という感情も伺えない。
ただ、まるで幼いころの真剣で、でも何も見えていなかった頃の
自分を遠く懐かしんでるかのようにもみえる。

自分はどうしたって正常だという自惚れから、境界線を越えてしまった。
自分が異常だったことを認めた上で、向き合えた自分がいた。

正常と異常のボーダーライン。
そんなものは、決めるだけ無駄なのかもしれない。


いやしかし、宮藤官九郎はサイコーでした!!!
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バッテリー

0070616_guraund

今日、駅へ向かう道すがら、私を3台の自転車が追い越していった。
背中には誇らしげに背番号をのっけた、野球のユニフォームを着た小学生たち。
今から試合なのだろうか、嬉々として弾むように自転車をこいでいる。
かわいい、と思い、この天気と同じようにすがすがしい気持ちになった。

電車に乗った。
私が乗車した駅で沢山の人が降りたため、ほどほどに空いていて、私は誰に気兼ねするでも座席に座ることができた。
すると私の目の前の座席に、一人の男の子が飛び跳ねるように座った。
小学3・4年生くらいだろうか。背丈は小さく、まだまだ子供だった。
そしてその隣には、中学1年生くらいの男の子が座っていた。背丈はもう私くらいはあるだろう。意思と憂いのある目をしていた。まさに大人になっていく過程を強くかんじさせた。

どうやら二人は兄弟らしく、どことなく似ている。
お兄ちゃんの隣の座席が空いたので、弟はすぐさま移動してきたのだろう。その行動が意味するように、弟はおにいちゃんが大好きなようで、あれやこれやと手出し口出しをしている。お兄ちゃんは思春期真っ只中。弟のように感情を丸出しにすることはなく、ウォークマンを聞きながらポーカーフェイスだ。けれど弟のことを邪険にすることは全くなく、お兄ちゃんはお兄ちゃんらしい包容力で弟に対していた。

私から見て、なんとも完璧な兄弟像だった。
まるで、小説のバッテリーを読んだときに描いたような二人だった。
私はその二人の行動から目が離せず、思わずipodの曲をとめた。笑
兄は兄の役割を、弟は弟の役割を見事に担っていて、そしてとても仲が良かった。

私はその兄の中に生まれ始めているあらゆるものを、その目や表情からかんじた。
大人になっていく過程。自己との激しいぶつかり合い。優しさと照れ、そして反発。

美しい、と思った。
そして、なんとも言葉にできない感情がわきあがった。
それは愛しいに近いようで違う。感動に近いようで違うかもしれない。
けれどとにかく、私の心を鷲づかみにしたんだ。

今朝の自転車の野球少年や、男兄弟を見て、あ。と思うのは、もしかしたら最近読んだバッテリーの影響なのかもしれない、と思う。なぜなら、今までの私はそれらの人たちに反応しなかったと思うからだ。

私はバッテリーの中に登場する巧と青波というキャラクターに親近感を持ち、ファンになっていた。巧という偏った人間の不器用な、けれど信念を持った強い生き様に共感していた。まだ子供だった頃の、社会や学校の枠に抗えない無力さや憤りを思い出した。早く大人になりたい。早く力を持ちたい。早く自由になりたい。そんなことを思っていたことを思い出した。バッテリーという小説は、私が中学生の頃に感じていたことを思い出させてくれたんだ。そしてひどく懐かしい気持ちにさせられた。私には失ってしまったものがあるということを自覚させられた。

青い、とても青かった。
あの頃、私はまだ青かった。
そして小説の中の巧は、青さの真っ只中にいた。

私がバッテリーを通して、野球少年や男兄弟に感じたものは、あの頃の自分への懐かしさと愛しさなのかもしれない。
そして理由や経緯はどんなであれ、自分の中で今まで何とも思わなかったものが、愛しいというレパートリーに加わって、なんだか嬉しい気持ちになる。愛しいという気持ちは、自分に最上の質の感覚を運んでくる。視界がぐらっと揺らぐような暖かさと幸福感を与えてくれる。だから愛しいものはひとつでも多いほうがいい。

バッテリー。
それは私に束の間の物語を楽しませてくれただけでなく、青かった自分と再会をさせてくれ、今の私に愛しいと思える対象を増やしてくれたんだ。ありがとう。
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