今日の一枚 part

My style,My life 〜心に響く写真を、心に残る何かを。

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永遠に届かないもの


20091018_haburashi





JUGEMテーマ:写真



photo by mamiya2

 
叔母さんが、危篤だという知らせを受けた。
去年訪ねたときには、足を悪くしたとかでずっと座りっぱなし。
すっかり痩せて、溌剌とした印象はもうどこにもなかった。

そこは母の実家で、
私が物心ついたときから、よく遊びにいったお家だった。
もし私に故郷があるとしたら、そこなのかもしれない。
そういっても過言ではないだろう。

いつも遊びに行く時には、家族行事がある日、
つまりだいたいがお盆の時期になる。

母を含めた7人兄弟が育った家でもあるので、
そこは兄弟みんなの実家でもあるわけだから、
お盆には毎年たくさんの親戚が集まっていた。

そこではいつも毎年恒例で”オハギ”が出た。
程よい甘さの餡子に包まれたモチモチとしたもち米。
私たち兄弟は、このオハギが大好きで、いつもお土産に持ち帰っていた。

そして時の流れとともに私たち兄弟は思春期になり、すっかり遊びにいかなくなった。
母だけが一人で毎年足しげく通い、時々持ち帰ってくるオハギが嬉しくて食べた。
そして大人になり、また、たまに遊びに行くようになった。
けどもうその頃には、オハギは作られなくなっていた。
理由は、叔母さんの体力の問題だ。
私は久しぶりに行ったのに、、、と、心底残念に思った。

オハギ、と言えば思い出すものがもうひとつある。
それは、お婆ちゃんが作ってくれる草餅だ。

お婆ちゃんはさすが大正生まれの人とだけあって、
草餅の材料は、いつも野原や川岸の土手で取ってきていた。
小さい頃、近くにある土手へ一緒に行っては、どれが何に食べられるかを説明されながらとった。
これは天麩羅にすると美味しい○○、草餅はこの○○、という具合に、
普段見向きもしない雑草に、ひとつひとつ名前があることを知って驚いた。

そのおばあちゃんも、去年亡くなった。
私は幼いころに草餅を作るおばあちゃんを傍らから見てはいたけれど、
結局作り方を教わることのないまま、その思い出は閉じられた。

もう、「お婆ちゃんの草餅の作り方」は、一生教わることはないんだ。
もう、「叔母さんのオハギの作り方」は、一生知ることはないんだ。
こうやって、手に届かないものが増えていくのか。

同じように、掴めそうで掴めないものとか、
手に届きそうで届かないものとか、ある種の憧れのような気持ちでそう思うものはあるけれど、
そういった今まで感じてきた類の感情は、未来に対するものだ。
それは頑張れば届くかもしれない可能性を秘めている。

けれど、過去に対するものは、もう永遠に届かない。
どんなに努力しても届かないもの、失った機会、永遠に閉ざされた可能性。

死とは、ゼロだ。
なにもかもなくなる。
もちろん残るものだってある。
わかってる。
けれどやっぱり、私にとってはゼロなんだ。

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